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五十嵐義隆ヒストリー インド No34 インドで8年ぶりの挽回のチャンス 

あの時こうしておけば良かったって

誰もが一度は考えたことがあるかもしれない

俺にとっては高校三年の時の悔しい思い出があった

その状況ににたシーンにインドで遭遇することになった

聖書で完全な愛は恐れを閉め出すとあるんだけど

神の愛を知った後の俺の人生は

本当に恐れから解放されていた

その事件は空港で仲間を見送る時に起きた

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(インドのタージマハルホテルの前の港)

ずいぶんスリリングな生き方をするようになった23歳以降の人生

21歳の時キリストの十字架の意味を知って

神の愛が心のコップにあふれる経験をしている

生き方が180度変わる

自分でできることではない

だから変える力のあるキリストを伝える

小学校の時めちゃめちゃ臆病だった

夜のトイレが恐くて

ダッシュでトイレに駆け込み

ダッシュで布団に戻った

よりによって

お袋のトイレにしいてたマットが

骸骨だったからこれがまたうける

犬も怖くて

でも恐いなんて見せたくないから

人前では蹴り

誰もいないとダッシュで逃げたこともある

そん自分を強くする為に色んな鎧を着ていた

高校時代は

筋肉もりもりで

学校にあるジムのマシーンはほとんど最高の位置でトレーニングできたほどだ

だから

どんなことがあっても仲間や彼女を守ってやるなんて

強がっていた高校三年生の夏

タイトルに挙げた挽回のチャンスとやらの前の話がある

カラオケから外に出ると

喧嘩が起こっている

最初は一対一だった

しかし

そこに暴走族があとから20人くらい来て

あっという間に1人がぼこぼこになった

いつも何かがあったら飛び込んで行こうと思っていただけに

どう対処したら良いか分からずに結局

傍観者になってしまった

親父は1人で15人を相手にしてひるまなかった経験があるだけに

男としては非常に悔しい経験をした

助けてあげられなかった・・・・

このことはいつでも覚えていた

そんな悔しい経験をした俺に神は再びチャンスをくれた

それがインドでのこと

4人で行ったインド旅行

先に2人が帰ることになっていたので

空港に送りに来たときのことだ

地元の牧師がちょっとした見送りだから

何気なく入り口の前に車を停めていた

俺たちは仲間を送りに空港の中に入っていったが

帰ってくるとなんやら騒々しい

見ると人だかりができていて

喧嘩をしている

厳密に言うと

仲間のインド人牧師が絡まれて殴られている

きっかけは

何気なく置いた車に

根拠もなく地元のインド人がここに停めるなら金をよこせと言って断ったことから

なんとか手を出さないようにインド人牧師も耐えている

しかし

手を出す方が更にエスカレートする

そこで

まず最初に地元の他のインド人牧師が場をなんとかしようと入っていった

何を言ったのかは実際分からなかったが

とにかく厳しい口調でいさめている

後で聞くと殴られている方のお兄さんが地元の官僚であり

こんなことしたらただじゃすまないぞと言っていた

しかも警察に突き出すぞみたいな言い方をしたみたいだった

しかし返ってことが収まるどころか

殴る方はもっと感情的になり殴り掛かる

そこで

次に俺の仲間の日本人牧師がいった

今度は少し押さえて英語でなんとかその場を鎮静しようと試みた

それでも殴る方の気持ちは収まらない

俺は前の2人のやり取りをみながら

どうしたら最前の仲裁ができるか考えた

イエスキリストがこの場にいたら

どうこの場所を沈めるかずっと考えながら

自分の番を待った

同時に高校時代のあのシーンがよみがえる

もう傍観者でいないぞ

祈りは決意に変わる

ようやく3番目に俺の番がまわってきた

いさめてもだめなら

俺はどうするべきか

祈りながら

その殴る人に歩み寄った

そして

その人の肩を両手でつかんだ

そして

この(殴られている方)は俺の兄弟だから

どうか赦してくれと話した

殴る人の目をみて

あなたを愛している

そしてハグして抱きしめた

前の2人のやりとりを見ていて

殴られているインド人の牧師仲間が俺たちが去った後に

復讐されない方法で暴力を振るう人を落ち着かせたいと考えた

愛は実践あるのみ

群衆の中で1人悪者になり

みんなにじろじろ見られ

いさめられ

どうにも感情が収まらず

また引っ込むにも引っ込めなかった人は

ハグで笑顔になり

その場を素直に去って行った

憎しみも

愛で溶ける

そして

神の愛を体験する時

恐れが無くなる

神以外の何かに頼っていた時

本当は心に恐れがあった

でも

裏切らない

捨てない

離れない

諦めない

キリストの愛を味わって

俺の恐れは消えて行った

過去の悔しい思い出は

この日良い思い出に変わった

悔しい思いは

いつか

必ず神によってプラスに変わる


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コメント (1)

イカピーさん、こんばんは。
2月に仙台で会った、にじパパです。覚えてますか?

ハグした話、今日メッセージで教会のメンバーに紹介しました。みんな感動してくれましたよ。

イエスの愛は、人を生かす。敵をも生かす愛だと改めて痛感しました。裁かれたら裁き返したくなるのが人の罪深さ。それをなんだかんだ理由をつけてもっともらしく正当化するのが、善悪の木の実を食べた人類の最大の悪影響。

でもイエスの愛は、理屈抜きで人を生かす「いのちの実」だよね。自分自身がこの「いのちの実」をいつも食べていなかったら、他の人を生かすことなんかできない。

私はこう思ってる。クリスチャン自身がちゃんといのちの実(イエスの生き様)を食していたら、いのちをの実(イエスの生き方)を現すのはごく簡単なことで、リバイバルなんか簡単に起こるんじゃないかってね。

イエスの言葉を知識にするんじゃなくって、生き様を現せるように。

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