あの時こうしておけば良かったって
誰もが一度は考えたことがあるかもしれない
俺にとっては高校三年の時の悔しい思い出があった
その状況ににたシーンにインドで遭遇することになった
聖書で完全な愛は恐れを閉め出すとあるんだけど
神の愛を知った後の俺の人生は
本当に恐れから解放されていた
その事件は空港で仲間を見送る時に起きた

(インドのタージマハルホテルの前の港)
ずいぶんスリリングな生き方をするようになった23歳以降の人生
21歳の時キリストの十字架の意味を知って
神の愛が心のコップにあふれる経験をしている
生き方が180度変わる
自分でできることではない
だから変える力のあるキリストを伝える
小学校の時めちゃめちゃ臆病だった
夜のトイレが恐くて
ダッシュでトイレに駆け込み
ダッシュで布団に戻った
よりによって
お袋のトイレにしいてたマットが
骸骨だったからこれがまたうける
犬も怖くて
でも恐いなんて見せたくないから
人前では蹴り
誰もいないとダッシュで逃げたこともある
そん自分を強くする為に色んな鎧を着ていた
高校時代は
筋肉もりもりで
学校にあるジムのマシーンはほとんど最高の位置でトレーニングできたほどだ
だから
どんなことがあっても仲間や彼女を守ってやるなんて
強がっていた高校三年生の夏
タイトルに挙げた挽回のチャンスとやらの前の話がある
カラオケから外に出ると
喧嘩が起こっている
最初は一対一だった
しかし
そこに暴走族があとから20人くらい来て
あっという間に1人がぼこぼこになった
いつも何かがあったら飛び込んで行こうと思っていただけに
どう対処したら良いか分からずに結局
傍観者になってしまった
親父は1人で15人を相手にしてひるまなかった経験があるだけに
男としては非常に悔しい経験をした
助けてあげられなかった・・・・
このことはいつでも覚えていた
そんな悔しい経験をした俺に神は再びチャンスをくれた
それがインドでのこと
4人で行ったインド旅行
先に2人が帰ることになっていたので
空港に送りに来たときのことだ
地元の牧師がちょっとした見送りだから
何気なく入り口の前に車を停めていた
俺たちは仲間を送りに空港の中に入っていったが
帰ってくるとなんやら騒々しい
見ると人だかりができていて
喧嘩をしている
厳密に言うと
仲間のインド人牧師が絡まれて殴られている
きっかけは
何気なく置いた車に
根拠もなく地元のインド人がここに停めるなら金をよこせと言って断ったことから
なんとか手を出さないようにインド人牧師も耐えている
しかし
手を出す方が更にエスカレートする
そこで
まず最初に地元の他のインド人牧師が場をなんとかしようと入っていった
何を言ったのかは実際分からなかったが
とにかく厳しい口調でいさめている
後で聞くと殴られている方のお兄さんが地元の官僚であり
こんなことしたらただじゃすまないぞと言っていた
しかも警察に突き出すぞみたいな言い方をしたみたいだった
しかし返ってことが収まるどころか
殴る方はもっと感情的になり殴り掛かる
そこで
次に俺の仲間の日本人牧師がいった
今度は少し押さえて英語でなんとかその場を鎮静しようと試みた
それでも殴る方の気持ちは収まらない
俺は前の2人のやり取りをみながら
どうしたら最前の仲裁ができるか考えた
イエスキリストがこの場にいたら
どうこの場所を沈めるかずっと考えながら
自分の番を待った
同時に高校時代のあのシーンがよみがえる
もう傍観者でいないぞ
祈りは決意に変わる
ようやく3番目に俺の番がまわってきた
いさめてもだめなら
俺はどうするべきか
祈りながら
その殴る人に歩み寄った
そして
その人の肩を両手でつかんだ
そして
この(殴られている方)は俺の兄弟だから
どうか赦してくれと話した
殴る人の目をみて
あなたを愛している
そしてハグして抱きしめた
前の2人のやりとりを見ていて
殴られているインド人の牧師仲間が俺たちが去った後に
復讐されない方法で暴力を振るう人を落ち着かせたいと考えた
愛は実践あるのみ
群衆の中で1人悪者になり
みんなにじろじろ見られ
いさめられ
どうにも感情が収まらず
また引っ込むにも引っ込めなかった人は
ハグで笑顔になり
その場を素直に去って行った
憎しみも
愛で溶ける
そして
神の愛を体験する時
恐れが無くなる
昔
神以外の何かに頼っていた時
本当は心に恐れがあった
でも
裏切らない
捨てない
離れない
諦めない
キリストの愛を味わって
俺の恐れは消えて行った
過去の悔しい思い出は
この日良い思い出に変わった
悔しい思いは
いつか
必ず神によってプラスに変わる
コメント (1)
イカピーさん、こんばんは。
2月に仙台で会った、にじパパです。覚えてますか?
ハグした話、今日メッセージで教会のメンバーに紹介しました。みんな感動してくれましたよ。
イエスの愛は、人を生かす。敵をも生かす愛だと改めて痛感しました。裁かれたら裁き返したくなるのが人の罪深さ。それをなんだかんだ理由をつけてもっともらしく正当化するのが、善悪の木の実を食べた人類の最大の悪影響。
でもイエスの愛は、理屈抜きで人を生かす「いのちの実」だよね。自分自身がこの「いのちの実」をいつも食べていなかったら、他の人を生かすことなんかできない。
私はこう思ってる。クリスチャン自身がちゃんといのちの実(イエスの生き様)を食していたら、いのちをの実(イエスの生き方)を現すのはごく簡単なことで、リバイバルなんか簡単に起こるんじゃないかってね。
イエスの言葉を知識にするんじゃなくって、生き様を現せるように。
投稿者: にじパパ | 2008年05月25日 20:59
日時: 2008年05月25日 20:59