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五十嵐義隆ヒストリー 大阪府⑬ 公園の主(ぬし)と友達に

隣人を自分を愛するように愛しなさい

聖書で誰もが知っていて

誰もが大事にしている箇所だ

実践しやすく、そしてすぐにマンネリ化しやすいものでもある

隣にいる人を大事するってできるようで難しい

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(スマトラ沖地震被災地での一こま)

何度も書くが

俺はキリストの生きたように生きたい

キリストはどんな人も愛し抜いた

だから

そんな男になりたい

21歳からそう思い始めた

家族や友達は大切にしやすいけど

はたして

ホームレスのおじさんを本当に友達として関わることができるのか?

口では誰とでも平等にしたいと言うのは簡単だが

実際となると人はどうなるか分からないものだ

やっと公園に関わるようになり

おじさんたちと毎日のように語りあう日々を送っていた

俺はおじさんたちの本当の友達であり家族になりたかった

時間が経つにつれ

おじさんたちも心を開いてくれるようになった

身の上のことを話してくれるようにもなった

色んなおじさんと友達になったが

その中で1番最初に心を開きあったおじさんを紹介しよう

それがタイトルにあった公園の主だ

公園には管理事務所があるのだが

その事務所と出入りできるおじさんがいた

どうやら公園をしきることをまかされている

そのおじさんと1番最初に仲良くなった

初めの頃は俺が興味本位でひやかしに来ているのではないかと試されたこともあった

それを乗り越え信頼を得るようになったそおじさんは

出会った当時から16年間前までいわゆる「やくざ」だった

どうやら組にいた時大きな失敗をして命を狙われ

逃げに逃げて公園生活をしてきたという

16年間逃亡生活をしていたので

もう疲れているちょうどその頃だったのだ

俺と出会った頃はいつもまわりを必要以上に警戒しては話をした

俺が聖書の学校に行っていることを知り

また俺がキリストの話もするものだから

おじさんもいよいよキリスト教にまつわる話をしはじめた

おじさんの身内にクリスチャンが結構いるという

けれども自分だけクリスチャンにならなかったという

16年間逃げ隠れする生活にほとほと疲れきっているその時

おじさんは心で助けを叫んでいたのだ

そんなことは知る由もなく俺は公園に行くことになったのだ

おじさんとの絆は時間とともに比例して強くなっていった

公園に通っていると色んなことが見え始めた

色んな人がおじさんたちに食べ物や

着るもの

布団なども持ってくる

けれど

よーく見ていると

本当におじさんたちが大切で食べ物を持って来ているのではなく

残飯を捨てるよりはいいかと持って来ていたり

また布団なんかは真夏の暑い日にどう?なんて持って来る人もいた

結局いらないものを公園に持って来ているだけに見えた

だからおじさんたちは俺が布団を運んでも最初そっけない態度をとった理由が分かった

俺はおじさんたちと人間と人間の対等な関係でつきあいたかった

難しくいえば人格と人格で向き合いたかった

それぞれの肩書きや社会的立ち場なんて関係なくて

お互いに尊厳ある人として友人関係を持ちたかったのだ

とはいえ

こちらは22、3歳

おじさんたちは5、60代

対等になれる訳はなく

人生の先輩として常に尊敬を払って接していたつもりではいた

もし大切な友達なら

俺はこのおじさんさちにどう接するだろうかと考えていた

決してホームレスのおじさんを助けてあげるという傲慢な態度ではなく

ギブ&テイクの関係

必要なものは何か聞いては差し入れをし

しまいには学校のキッチンに招いて食事をふるまうようになった

教会に一緒に行くようになって風呂にも行った

髪の毛を切ってあげることもあった

いつしか

おじさんのテントの中に入れてもらえるようになった

そして

家族構成を聞かせてもらい

どんなことがあったかも教えてくれた

家庭を捨てて

もう奥さんは再婚をしていた

いつしか

娘がおじさんを訪ねて公園に来たことがあった

その時困ったことがあったら電話してねと電話番語を残していった

けれど1度家族を捨てているので

もう2度と犠牲を払わす訳にはいかない

だから電話番号の紙を破って捨てたと言う

俺の家庭も壊れかけたことがあった

だから

家庭を捨ててしまったホームレスのおじさんたちが人ごとに思えなかった

自殺の多い日本社会で

おじさんたちは死を選ばずに生きることを選んだ

ホームレスなんて恥ずかしいだろう

人々に公園生活をじろじろ見られて

俺には到底できない勇気のいることだなと思っていた

ここまでの生活ができたらどんなことも恐くなくなるのではないかと思っていた

どこかで自分をかっこつけてしまう自分にとって

おじさんさちの生き方は勉強になった

色んなことを教えてもらう中で

この元やくざのおじさんがイエスキリストを信じたいと言い出した

神を信じて人生が変わるなら変わりたいと言い始めたのだ

それまで

学校の食堂のテーブルで毎週金曜日

おじさんと二人で聖書を一ヵ所読み

賛美歌を一曲歌い

お祈りをしていた

そしてとうとうおじさんが洗礼をうけることになった

そしてこのおじさんがクリスチャンになると

色んな変化が起きたのだ

逃亡生活でかぶっていた帽子を脱ぎ捨て

顔を隠すためのヒゲをそり落とし

逃げることからの恐れがなくなった

喧嘩をやめ

盗むことをやめ

人と挨拶をかわす人になった

まわりのホームレスのおじさんさちに声をかけるようになり

しまいには毎日飲んでいた一升酒もやめた

俺が公園に来始めた頃

神について語っていた時

他の人は変わってもこのこいつは変わらないよと言っていた別のおじさんがいた

この人も元は暴力団の人だった

一人のおじさんの人生がまるですばらしく変わってしまっていらい

その変化がまわりに広がるのはたいして時間がかからなかった

このおじさんとのドラマはまだまだ続く・・・

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