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五十嵐義隆ヒストリー 大阪府⑰ 試される俺の許容量

人はそれぞれ

できる範囲が違う

それを人に押し付けたら人はつぶれる

またその逆もあって

誰かのキャパの範囲と経験と前例だけで判断されてもまた困る

人それぞれ新たな領域とステップがあって

それを乗り越えられる範囲で見極める識別力が本当に大切

それを俺は見つける日々を送るようになっていた

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(港区芝公園にある聖公会の中  写真撮影提供 たけしげる)

俺だって裕福な訳ではない

だから

できればお金を出して助けてあげる状況がはやく終わればいいって

そりゃ思っていた

学校の教師陣も学生のくせに困った人を助けてる場合じゃないだろうと

水をさしてくれることもあった

でも

不思議と

いやめちゃ不思議なんだ

なんで俺がこのおっさんの為に諦めずに関われたのかといえば

それだけに値する興味深い理由があった

実は

なぜか俺にお金のゆとりができるころ

おっさんはやってきた

まじでね

これ本当にまじな話ですよ

俺の住んでいる寮の部屋に

隠しカメラあるかもってまじでまわりを見渡したくらい

なんでこのタイミングで来るわけ?って思いますよ

それが一度や二度じゃないんだから

こんなことが続いて

これは

神が俺を試していると考えた

おっさんが問題じゃない

俺はこのおっさんが立ち直れることを

「神に対して信じて」つきあうことができるのかということじゃないかって思った

聖書に

神を1番に考えて生きるとき

神は必要なものはなんでもくれると書いてある

大事なことは「必要なもの」はなんでもだ

ただなんでもかんでもくれるわけじゃない

だったら神はただの自動販売機だわ

いつしか糖分とりすぎで病気で死ぬわ

聖書は神と人を

親と子にたとえたりもする

だから

親が子供がなんでもくれってねだったとしても

それが子供にとって害なら与えないのは決まっている

また害ではなくても正しく扱えないタイミングに与えたりもしない

生まれてすぐの赤ん坊にプレステ3を与えるわけがない(ちょっと例えが極端)

いずれにしても

神は必要なものをくれるというなら

このおっさんとのやり取りの中で必要なものさえくれるのだろうとそう思えた

でもねぇ

やっぱりねぇ

人には限界があるのだよ

自分で貯めた貯金で学費を考えて

新聞配達しながら勉強している俺に

ぜいたくなどできない生活をしているような学生なのだから

もちろん

限界が来るのも早かった

いよいよ

俺のリミット発見

もうまもなくこのおっさんを助ける為に貯金がつきる手前まできた

起死回生ってあるんだ

9回の裏からがおもしろい野球のように

誰の人生にだって9回の裏があるんだ

そこまで諦めないなら逆転劇は用意されている

そして・・・俺の限界の向こう側に・・・・


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