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心のごはん 24  アラカルト 「心の清い人は幸せ」

心が清い人なんているんですか?

心が清くなりたい

僕がクリスチャンになりたかったのは

それが理由でした

小学校のことでした

今から18年前

小学校の6年生だった僕は

もし人が清くなれるのなら

清くなりたいと強く願っていました

だから

今回のテーマは僕も色々考えさせられます

心の清い人は幸せになるだろうことは

もう誰だって頭では分かっています

人前の自分と

人がいない時の自分のギャップを痛いほどわかっていたり

心の中で思ってることと

実際に口に出して言っていることや顔色が違っている自分に落ち込んだり

とにかく

人に知られていない部分で隠しているマイナスな経験や

悪いことをしてしまっている時

なんとかして

願うところと

実際の行動にギャップがない人間になりたいと思ったりしたりはないでしょうか?

小学校の頃僕は

非常に自由でした

悪ガキとも言えるし

いじめっこの要素もあったでしょう

悪口は言う

盗みはする

人に手や足をだす

切れやすい

いじめる

エロ本は読みまくる

とにかく自分の嫌な面に悩んでいました

もし

人がやりなおせるなら

もう一度奇麗な人になりたいと

小学校6年生にして真剣に思っていたのです

ところが

どうやって自分を奇麗にできるか

わかりませんでした

もちろん

まじめに生き続けることに努める事は当然です

それでも

なかなか自分を変えることができないで悩んだりする人はいたりしませんか?

僕は悩んでいましたし

自分をなんとか

もっと正直に

誰にでもいつでも優しく

公平に

自分を制御できる人になりたかったです

そこで

バイブルと出会いました

キリストが人類の為に私たちの罪の身代わりとなった

自分たちが本来受けるべき報いをキリストが代わりに罰として受けてくれた

それが十字架で表したあなたに示した愛だと

そう知りました

キリストを信じると罪赦され

新しく生きることができるという

嘘でもいい

でも

本当なら自分を清くして

新しく歩みたい

12歳の僕は真剣に思いました

自分で自分を清く変えることができない

でも自分を愛している神が

僕の汚いところも含めて愛してくれて

それで寄り添って僕に生き方を教えてくれるならできるだろう

クリスチャンになれば誰でも瞬間的に人生が変わると思っていました

しかし

色々と失敗を重ねながら

前とは違う自分に成長していくのを分かりました

自分の力では清くなれないのは人間だれとてわかっています

でも

自分でもどうすることのできない

心の奥の奥の部分を

神が変えてくれるというのなら

試してみる価値あるかもしれません

神を信じようと信じまいと

バイブルは心を清くしたいと願う人を応援します

心の清い人は幸せだと

なぜならその人は神を見るのだというのです

清さとは落ち度のない完璧な人をさすのではなく

弱さ、失敗、罪、駄目さなど

等身大の自分に正直であることを始めるとことからなのかなと思っています

※※

愛についていまみんなで考えていますが

これをただの自分たちの幸せだけに終わらせたくない

愛が広がり

自殺する人が一人でも

殺人が一件でも経る為に

実に愛が具体的に形になってほしいです

どうかこのブログを読んでくださったみなさまには

ともに祈って欲しいです

祈りを重ねて行きたいです

自殺がゼロになり

殺人がゼロになるその日を信じて僕は祈りを積んで行きたいです

せめて愛の小さな一歩が実践されて

自殺が一件でもへり

殺人が一件でもへるならば

本当に嬉しいことです

あなたの1分をブログのあとに祈りとして一緒に捧げて欲しいです

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