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心のごはん 31  アラカルト モーセの十戒「殺しちゃだめ」

これほど駄目だと知っていることなど世界でないはずなのに

どれほど多くの人がこれを止められなかったでしょうか

人と人とが殺し合ってしまうという悲惨な現実

これは終わらないのでしょうか

そして人を殺すとは

どういった所からスタートしてしまうのでしょうか?

連日メディアで報道される

殺人事件

国内、国外いろいろあります

人を殺してはいけないこと

それは誰でも分かりやすいものなのですが

キリストは

更にこう語りました

人に対して理由もなく腹をたてる人も

人に対して「能なし」(=からっぽ野郎=罵る)と言う人も

人に対して「ばか」(見下す)と言う人も

人を殺すことと同じだと厳しく教えました

殺人に至るその最初の最初の種はなんでしょうか?

何が原因であれ

その人の存在を否定しはじめるところにあるのではないでしょうか?

テレビや新聞を見ては平気で殺人犯だけを批評してしまいやすい私たち

しかし

キリストは実際に人を殺してなくても

意味なく人に怒りをぶつけたり

罵ったり

見下す人は同じだよと指摘するのです

あいつなんかいなくなればいい

あいつさえいなければ上手くいく

あいつのせいで

あいつ

あいつ

自分の問題よりも

相手の問題が大きく見えだすとき

僕らはこういう方向に向きやすいのではないでしょうか

実際にえん罪で自分のせいにされ苦しんでいる人もいます

人が正しく裁けない問題は神が裁くから安心しなさいという励ましもあります

さて

人がいなくなる

それは

実際に殺すということでなくても

無視や

無関心や

軽蔑や

そういう態度を取るようになってしまう中に

すでに相手の存在を不必要としてしまう種を見ます

いてもいなくてもいい存在

いやむしろ

いなくていい存在

その人の心の中にある

黒い黒い部分を神は気付きなさい

そして

そこを神に取り扱ってもらいなさいと語ります

人は腹黒さの部分を赦され

生き方が変えられていくことが不可欠ではないかと思います

最終的に人を殺める前の段階で

誰でも人を関係の中で傷付けます

その時点で

僕らは自分に気付き

自分の問題を処理することをまず始める必要があるのでしょう

本当の意味で

人のことを悪く言える人など一人もいないのです

人の小さな問題を言う前に

自分の中にある大きな問題を扱うことをしていたら

人に矛先を向けている場合じゃないですよね

愛の不可欠により

愛しあえない負の連鎖は始まります

でも

愛のガソリンスタンドは

神のもとにあるとバイブルは教えてくれます

殺人

本当に減って欲しい

願わくば0(ゼロ)になってほしい

まずは僕から変わることをひたすら求めていきたいです

※※

これまで

愛についていまみんなで考えていますが

これをただの自分たちの幸せだけに終わらせたくない

愛が広がり

自殺する人が一人でも

殺人が一件でも経る為に

実に愛が具体的に形になってほしいです

どうかこのブログを読んでくださったみなさまには

ともに祈って欲しいです

祈りを重ねて行きたいです

自殺がゼロになり

殺人がゼロになるその日を信じて僕は祈りを積んで行きたいです

せめて愛の小さな一歩が実践されて

自殺が一件でもへり

殺人が一件でもへるならば

本当に嬉しいことです

あなたの1分をブログのあとに祈りとして一緒に捧げて欲しいです

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