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心のごはん 34  アラカルト モーセの十戒「神の名をやたら使うな」

今回のテーマはちょっと意味不明な方もいるかもしれませんが

なぜこの世界に宗教があるのかということをちょっと考えてほしいので

お時間ある方は是非最後までおつきあいください

人類のテーマです

いるのかいないのか

僕は宗教は大嫌いですが

神様は信じています

どう違うのでしょうか?

日本人ならこういう人多いんじゃないでしょうか?

神は信じるけど

宗教は・・・

僕もそうです

人間が作り上げた宗教など嫌いです

それはいつかなくなるし

変わりゆくものだからです

でも神がいるなら

変わらず

普遍的であると思っています

今回のテーマ

みだりに神の名をいうな

みだりとは

根拠・節度がないさま。

筋が通らないさま。

いわば意味もなく

やたらと使うなとあります

人類は実に勝手で

何かあると神様か悪魔のせいにしたがります

それか運命か

またある人は先祖の罪か

因果応報とか

前世のせいだとか

いろいろ言い訳したがりますが

でも

結局は人は自由意志で

自分たちで取捨選択して判断し決断し生きています

バイブルからも神はぼくらに自由意志を与えていることを知れます

自分たちが生きている中で

ほとんどのことは言い逃れできません

言い訳できない訳です

よく言われるのが神がいるなら

戦争とか貧困とかなんであるんだと

でも

戦争はごめんねと言えば終わりますし

貧困も世界に十分富がありますから

分ければ一人も貧困な人どいなくなります

神のせいではなく

人類の中にこそ問題はあります

今回のテーマについてですが

バイブルでイスラエル人が出てくるのですが

彼らはこの「やたらと神の名前を言っちゃだめ」だと言われ

神様の名前を直接的に呼ぶことをやめました

あまりにも忠実に守りすぎて

その神の名前の文字の読み方を正式には忘れてしまっていて

どれが元々の読み方だったか言えないほど

ひたすら

神の名前をやたらと言うことをやめました

でも

名前を呼ぶか呼ばないかということもそうですが

人間は

自分たちの問題を神のせいにするということやめなければならないと思うのです

なんでも神が神がと人類は

責任をそこにおしつけたがりますが

でも人は自己中心で

自分が正しいと思いやすいし

自分の測りでつねに全てを量ってしまいがちです

だから

日本には八百万の神と言う概念ができたほどです

元々日本にはそんな何でも神と言う概念はありません

僕らは自分たちの都合で

何でも神にしたてあげ

またその神が不都合になれば

別に移行すると言ういい加減な歴史をなんども繰り返しています

今回の出産で

安産祈願に行きましたかと看護士さんに聞かれましたが

僕らはどこでも安産祈願できますよと話しました

前に安産の神様のところで

受験祈願を祈っている人がいましたが

それはどうなのでしょうか?

聞かれるのでしょうか

聞かれないのでしょうか?

神はいつでも

どこでも

誰の祈りも聞いてくれますが

もしそこに行かなければ祈れないとしたら

行けない人は不幸で仕方ありません

神は呼ぶ人のところどこにでもいます

神様には祈りの部署などなく

全ての人の祈りに耳を傾けられます

でも

自分の都合が聞かれるから神を信じるのでは自己中心です

祈りが聞かれないなら神がいないとなるこれはもう

結局その人が神ですよね

親に子供が甘いものをねだりまくって

ねだる度に子供にあげるでしょうか?

それが愛でしょうか?

違いますよね

神も同じです

自分たちの祈りに

いつでも

どこでも

誰に対しても聞きますが

でも

願いがかなうから本当なのでしょうか?

考えなければならな時代かなとつくづく思わされます

神さま

神さまと

ぼくらは使いやすいですが

でも

この世界には二つの神様があると言われます

人間が作った神様と

人間をつくった神様と言われますよね

何かが起きるとき

人生の中で一度

神様について真剣に考えてみるのもいいかもしれませんね

バイブルには神様を表すいろんな言い表しがありますが

面白いです

そして一番大事なのはバイブルの神は愛だとあります

愛はやたらと使っても分かりませんよね

大事なものこそよく考えたいです
※※

これまで

愛についていまみんなで考えていますが

これをただの自分たちの幸せだけに終わらせたくない

愛が広がり

自殺する人が一人でも

殺人が一件でも経る為に

実に愛が具体的に形になってほしいです

どうかこのブログを読んでくださったみなさまには

ともに祈って欲しいです

祈りを重ねて行きたいです

自殺がゼロになり

殺人がゼロになるその日を信じて僕は祈りを積んで行きたいです

せめて愛の小さな一歩が実践されて

自殺が一件でもへり

殺人が一件でもへるならば

本当に嬉しいことです

あなたの1分をブログのあとに祈りとして一緒に捧げて欲しいです

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