モーセの十戒シリーズ最後は
このテーマです
神々があってはならない
日本はもろに八百万の神々の国
ちょっと日本人考える必要があるかもしれません
モーセの十戒を逆から追ってきました
これで最後です
前回のテーマとつながりがありますが
今回のテーマの語り手は
バイブルに出て来る神となります
実を言いますと
日本に聖書というものが入ってくるとき
随分と翻訳に悩んだのです
バイブルのもともといわんとするニュアンスが
当時の日本の言葉にないものばかり
「愛」って漢字自体が
日本に聖書が入る時にはなくて
「慈悲」と訳したり
当時の仏教用語から借用して訳した言葉もいくつかあったくらいです
その中で一番悩んだ言葉が
この「神」という言葉です
日本で神というとやはり神々のうちの一つという感じがするので
どうやってその違いを表すか考え
天主とかと訳されたりもしました
しかし
やはり神というほうが馴染みがあるということで
神となりましたが
やはり
日本では神と言うと分かるようで分からない感じもあります
ではバイブルの神はどんな神なのだとなります
よく創造主と言ったりします
それは天地万物を作った神という意味です
日本の教育ではあまりないのですが
世界には創造論と進化論とがあります
創造論は神が人間を作ったという考え方で
進化論は単細胞生物から多細胞生物に偶然進化したという考え方があります
教育されるときこの二つを選択できるならまだしも
日本では
進化論だけが学校教育の中でされます
しかも
日本の教科書に創造論を入れようとした
クリスチャンの大臣が暗殺されたという話もあるくらいです
創造論に変わって日本に入ったのが
ダーウィンの進化論でした
ダーウィンは死ぬ前にこれは単なる仮説にしか過ぎなかったと認めたことも
よく知られた話ですが
日本の教育ではそこは無視され一人歩きしています
ちなみに
進化とは必ずしもダーウィンの進化論だけをさすのではなく
科学の中でも使われる用語ですが
それは「一定の時間の中で変化すること」をさします
ちなみにダーウィンの進化論は
科学者たちにしたらもうありえない話で
専門家でなくても大学レベルの学生であれば
論理的に難しいことは知られています
多くの科学者たちが神の存在を認めるようになっているのですが
進化論学者や
霊長類学者たちにとっては神はあまり必要がないように考えられます
かつて僕が勉強した学校に
世界的有名な天文物理学者であるヒュー・ロス氏がきました
当時、僕ともう一人のたった二人しかいなかった聖書の学校に
世界的権威はきて教えてくれました
現在では多くの科学者が神を認め神を信じるようになっていると話してくれました
それはなぜかと言うと
この宇宙や地球や星などすべてのものを見るとき
狂いなく計算されたかのように配置されているという
1%のバランスをくずしたら人間が生存できないように
絶妙にバランスをとられているのです
知っていますか?
空気中の酸素と二酸化炭素と窒素のバランス
酸素は今よりも1%少ないと高等生物は生きていけないし
1%多いと火事が起きやすくなりすぎるというのです
あげたらきりがないのですが
ヒューロス氏に質問をしました
神を信じる科学者と
神を信じない科学者の違いは何かと
ほぼ科学者たちは神を認めなければならない状況にあるようで
神がいるということが分かっても信じない人もいると言っていました
多くの科学者が神などいないということを証明してやろうと
やっきになって科学しますが
そういう人ほど偶然ではなく計算されて
人間や地球や宇宙などが存在していることを知り
神を認めると言うのです
それでも
認めない人がいると言いました
それはどうしてだったでしょうか?
ある人は神を認めると今まで神などいないという仮定で調べて来た
研究成果が台無しになると言うことで神はいても信じたくないと言う
プライドでした
ある人は
神を信じると神にしたがわないといけないので
不倫をやめなければならないと言う
道徳的な問題でした
結局誰もが持つような共通の問題で知的なレベルのものではありませんでした
僕は神が天地万物をつくり
人間を目的をもって作り
神は愛をもって私たちをこの地上に命を与えたと言うことを選びます
進化論は偶然の産物なので
猿から人間に進化したのなら
はやく動物園から猿たちを解放したいし
野猿たちを助けて各家庭で大事に猿を育てなければならないのではないかと
考えてしまいます
何せ日本では先祖は神だと言う概念があるのですから
これは僕の考えであって押し付けません
さて
バイブルの神は
人類に自分たちで作った神を拝むのではなく
私(創造主)だけを拝むことを言います
人間を作った神を捨てて
他の神を拝むならそれは不倫だよって嘆いています
バイブルでは「ねたむ神」とありますが
そういう言葉なら我々には分かりやすいのかもしれません
誰かと不倫していいよいいよとなぁなぁにはならず
信頼しあって愛し合うことを僕ら人類に求め
そして神と人とが愛し合うように
人類も愛し合ってほしいと神は願っています
もし
本当の神などいなくて
それぞれ信じている神を尊重しようと言うことが成立するのなら
テロや戦争を駄目だと言える理由はなくなります
また独裁者が生まれ
ホロコーストのような悲惨な殺戮が産まれるでしょう
人を殺すことを肯定し
賞賛する宗教が産まれてしまうなら
僕らはどうやってそれを説明できますか?
あなたが信じているならなんでもいいんじゃない?と
無責任に考えることも
調べることもしないで
自分の生活だけ幸せならいいじゃんて思いますか?
いま
モラルがなくなり
殺人がくりかえされ
社会の正義と悪の価値観がぐらぐらと揺らぐ時代
もう一度
考えて行動したいって僕は強く思わされます
聖書を信じる
ユダヤ教
イスラム教
キリスト教があまりにも
歴史の中で悪い例を示しすぎて
一神教に対して毛嫌いする人も多くありません
しかし
そう言う人達だけがモデルではなく
マザーテレサのような愛を実践した人もいます
知られていない愛の人達がたくさんいます
人間はすぐにぶれやすく
ずれやすいものです
僕らはなにでそれを修正しますか?
僕は創造主なる神を信じて
まずは自分自身を見直すことを死ぬまでできたらいいなと思っています
※※
これまで
愛についていまみんなで考えていますが
これをただの自分たちの幸せだけに終わらせたくない
愛が広がり
自殺する人が一人でも
殺人が一件でも経る為に
実に愛が具体的に形になってほしいです
どうかこのブログを読んでくださったみなさまには
ともに祈って欲しいです
祈りを重ねて行きたいです
自殺がゼロになり
殺人がゼロになるその日を信じて僕は祈りを積んで行きたいです
せめて愛の小さな一歩が実践されて
自殺が一件でもへり
殺人が一件でもへるならば
本当に嬉しいことです
あなたの1分をブログのあとに祈りとして一緒に捧げて欲しいです