神は仰せられた。
「さぁ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。
彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、
地をはうすべてのものを支配するように。」創世記 1章26節(新解訳聖書から)
創世記それは
天地万物のはじまりを語っている。
天地が造られ、動植物が造られ、そして、最後に人間が造られた。
動物とは決定的に違う神が人間を造るそのポイントは
「神のかたち」に似せて人間は造られたこと。
かたちというと、まず姿格好をイメージしやすいが
それだけだろうか?
親から生まれた子供は
両親の顔、体型に似るだけではなく
その性格や能力まで似ていたりする。
WHO(世界保健機構)も公言している通り
人間は、体と心と霊でできている。
だから、良く知られているところでは
末期癌患者の方の為にターミナルケア
すなわちホスピスの働きである。
人間は、神に似せられ
神と関係を持って生きることができる。
その関係を見失えば
まるで親と会話のない家庭内別居生活のような空しささえ覚える。
神に似せられた性質の大きな動物との違いの
そのポイントは
「霊」」だ。
Spiritと英語では言う。
神と人間がコミュニケーションできる
その大事な部分がこれだ。
日本人の多くはこれが何かあまり知らない。
ただ、なんとなく感覚的には分かるので
色んな宗教やスピリチュアルなものを求めている昨今だ。
霊の領域と言えば
人間の存在そのものと言える。
自分の存在の生き死にに関わる領域。
人はそこに大きな関心があり
それを解決せずには、すっきりいきられないものだ。
ホスピスの働きに少し関わらせてもらったことがある。
東洋医学では昔、人間の死が医学の負けを意味していた人達がいたので
不老不死や長寿に医療は時間を割いた。
一方で聖書に影響される西洋医学は
人間の体の死で終わりではないと言う考えがあるので
医療もことなった。
特に、さきほども説明した末期癌患者の方々へのケアをする
ホスピスでは死が敗北だとは考えない。
死を意識するとき
人は自分の存在を確認する作業になる。
霊すなわち人間の存在がもつ
大きなテーマは
・自分が生まれて来た意味、価値
・死んだら自分はどうなるか
・誰にも理解されない孤独感
・過去に犯した罪や問題
このことに関して人は思いめぐらす。
この霊の領域に
人がどんな慰めをしても
心にしか届かない。
しかし、人間を造った
神の価値観を持って
霊にアプローチすると
人は誰にも埋めてもらえない
届きそうで届かないその場所に
安心や理解等を得る。
聖書に基づく医学では
聖書を信じているならば
とりわけ、イエスキリストが
神との間に見失った関係を回復することを
可能にしてくれると教える。
キリスト教会では
天国に入るとか
救われると言うが
神との見えなくなった関係
すなわち神のかたちに似せられて造られたことを
聖書を通して知るとき
そこにもう一度回復する神との関係によって生まれる安心は
罪の赦しとか
永遠の命とか
神の愛とか
天国に入るとか
救われるとかという表現で
「あぁなるほど」と響いて来る。
それは
どういうことか?
親と離ればなれになった子供が
自分の本当の親がいることに気づいたとき
必死に探し求めて
もうすでに他界していたとしても
確かに、自分の生まれて来たことを確認するかのように
私たち人間も
生まれて来た
親よりももっとその源である
神との関係が回復する時に
自分の存在に本当の安心が訪れる。
神は人となり
地上でその関係回復の道を示した。
それを、イエスの十字架と言う。
聖書はイエスを通して
神とのコミュニケーション方法が誰でも可能だと
今日も教えているのだ。