しかし、助産婦たちは神を恐れ
エジプトの王が命じたとおりにはせず
男の子を生かしておいた。
そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。
「なぜ、男の子を生かしておいたのか。」
助産婦たちはパロに答えた。
「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので
助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
神はこの助産婦たちに良くして下さった。
それで、イスラエルの民は増え
非常に強くなった。
神は彼たちの家を栄えさせた。 出エジプト記 1章17〜21節(新改訳)
神をおそれることは知識のはじまりと聖書(伝道者の書)は語る
出エジプトでお馴染みの神から「十戒」を授かったモーセが産まれるエジプト
ここでは、ファラオ(パロ)がほとんど神に近い王様だった
王が出した命令それは
多産なヘブル人達の男の子達を殺すということ
かつてヘブル人でほとんど王様と同じ権力を
与えられていたヨセフがいた
ヨセフの影響が続いていた時代は良かったものの
彼を知らない時代になると
おびただしく増えるヘブル人に脅威を感じた王は
ヘブル人に労働の苦役を課せた
がしかし、ヘブル人は更に増え広がり
とうとう、ヘブル人の赤ん坊を殺すという考えられない行動に出た
日本でもさすがに
首相がある特定の全体に取ってマイナスだと思われる人達の赤ん坊を
殺しなさいという命令をいま出したとしても(出すはずないのだが)
誰も従うとは思えないが
しかし
かつて日本でもそんなことがまかり通る時代があったのだから人ごとじゃないし
いつでもそんな時代は起きてしまうのだから肝に銘じなければならない
長崎の26聖人で知られる
日本史で一度は耳にする話
今から412年前の2月5日
豊臣秀吉によって京都や大阪で捕まえられた
24人のキリシタンたちが
長崎の処刑場に連れて行かれ
そして殉教した日です
1597年のことです
捕まえられた24人に2人の付き人がいました。
そしてその二人も殉教することになり
いわゆる「長崎の26聖人」と呼ばれる訳です。
誰もが知っている日本の殉教の
初めての出来事です。
そしてその中に12歳の
ルドビゴ茨木くんがいました。
彼らは信仰の故に
耳や鼻を削がれ
信仰を捨てれば赦されるとした
「戻り橋」を戻らず
喜び勇んで長崎へ旅しました
信仰を捨てることを条件に
お役人は12歳の将来ある茨木くんを
養子か小性にして助けてあげようと
試みます。
生き延びれば
50年は生きれるであろう
そいうすれば
お金も地位も名誉も得られるであろう
武士や大名になれるかもしれない・・・
茨木くんはキリストを捨ててまで
それは得たとしても何の意味も無いことを
知っており、迷うこと無く
死ぬことを選びました
そして
26本ある十字架を見て
「僕の十字架はどれですか?」と聞いたのです
そして彼は十字架を抱き
口づけして泣きました。
そして見せしめのはずの
公開処刑が
かえって、人々の心をうち
多くの人がキリストを信じたのです
キリシタンを殺す命令
キリシタンはいなくなるどころか増えて行ったのでした
さて
神をおそれる
すなわち
神を認めて生きるなら
もしも、社会が
世間が
マジョリティーが
明らかにおかしな選択を選びつつある時代でも
人はまっすぐ歩むことができるのです
今回、聖書で神に祝福を得たまさに助産婦がそうでした
たとえ、右往左往しても
進むべき方向が分かるなら
私たちは光り輝いて生きるのです
モーセの時代も
イエスキリストが地上に産まれる時代も
また日本の江戸時代も
考えられないような命令や価値観や考え方が
人々に影響を与えました
しかし
しかしですよ
私たちが神を認める時
バランスを保つことができるのです
人は神に似せられて作られたので
人は神の価値観なしには
人を殺してしまうと言う悲しい結末さえ起こすのです
聖書では人殺しは
殺人犯だけに言わないのです
あなたが人を憎む時
嫌う時
もうすでにその人の存在を消す
悲しいプロセスに入っているのです
人を憎むことも
人を殺すことも
人が神に作られた尊い存在であること無にしてしまうのです
神は人を命に導き
命に溢れる生活に導くのです
キリストは言いました
私は道であり、真理であり、命ですと・・・
そして、聖書に新しい戒めを付け加えてくれたのです
あなたの、敵を愛しなさい