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心のごはん 39  シリーズ レビ記

あなたがたの土地の収穫を刈り入れる時は

畑の隅々まで刈ってはならない。

あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。

また、あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。

あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。

貧しい者と在留異国人のために

それらを残しておかなければならない。

わたしはあなたがたの神、主である。 レビ記 19章9、10節

落ち穂拾いと聞くと

すぐにおもいだすのが

そうです ミレーの絵ですよね

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女性たちが落ち穂を拾う姿

1度はどこかで見かけたことがあるのではないでしょうか

今回のレビ記

モーセの書でお馴染みの書物で

「律法」と呼ばれる神様の愛のメッセージが

詳しく書かれている場所です

先月、イスラエルに連れて行ってもらい

数日間エルサレムを中心に滞在しました

すると

物乞いやお金を求める方々に何度も出会うのです

ある時は一緒にいた友人が

日本人と分かってぼったくっているのではないかと思うくらい

少なくない額のお金を求めてきました

昔、インドでストリートチルドレンと会った時を思い出すほどに

幾度もそんなことがありました

余談ですが

ストリートチルドレンの多いインドで

物乞いしたり路上に生活をしている人達を

全くと言っていいほどみない地域があったのです

そこは、種子島でお馴染みの宣教師フランシスコザビエル

の遺体がおいてあるゴアという町でした

非常に感動した思い出がありますが

イスラエルではいまだに感動するシーンに出くわすことが多いのです

イスラエルではクリスチャンのみならず

ユダヤ人たちも聖書の習慣を守ります

特に、旧約聖書の習慣をまじめなユダヤ人は特に実践します

イスラエルではいまだに

物乞いされたら断ってはならないということを守っている人達がすくなくありません

ですから、ラビと呼ばれるユダヤ人の教師たちは

いつもポケットにコインをたんまり持ち歩いているのも珍しくありません

エルサレムの新市街には大きな市場があります

毎週、日没で始まる金曜日の「安息日」には

興味深い光景に出くわします

何千年前に神から直接受けた命令を

地で実践しているのです

八百屋さんや食べ物屋さんが多く並ぶ市場で

夕暮れ時となると一斉に店じまいを急ぎます

急ぎながらも忘れないことがあるのです

それがレビ記のこの場所です

八百屋さんやパン屋さん等は

わざと食べ物を残します

それは

貧しい人達が後で来てもっていけるためです

憐れみを実践し続けているのです

聖書は

全ては神様から与えられたものであることを人類に語ります

ですから

多く与えられた者は

回りの人達と分かち合うべきです

人間が生み出すあからさまな独裁政治による貧困は

みんなで募金し、または税金で埋めるべきですが

生まれつき

また、事情がある貧しさは恥ずべきことではありません

人はそれぞれに与えられている役割があり

人にはそれぞれの「分」があります

ですから

貧しい人達を一斉にかわいそうに思うことはないのです

お互いにないものをギブアンドテイクしあうだけです

貧しさが人間の尊厳を左右するものではありません

ただ、多く与えられている時に

困っている人がいるなら助け合うべきです

落ち穂拾いの精神

日本でも軽んじたくないものです

長野に移り住んだ私たち

近所のおばあちゃんたちは

しょっちゅう

ネギや白菜にキャベツにタマネギなど野菜を

都会から引っ越して来た若い家族のためと思い

家に帰って玄関の前にそっとおいておいてくれたりします

「神は憐れみ深い者に 憐れみ深い」

実践して生きたいものです


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