しかし
主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や背の高さを見てはならない。
わたしは彼を退けている。
人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが
主は心見る。」 第一サムエル記16章7節
クリスマスシーズンということもあり
イエスキリストに関係する話がしたい
キリストはダビデの子と通称で呼ばれるのだが
聖書で誰もが知っている登場人物の一人という意味でも
ダビデ王は隅におけない存在だ
世界で最も知恵があったと言われる
ソロモン王のお父さんがダビデ
ダビデは聖書の詩編の多くの歌を書いた人でもある
王であったのに
神の前に謙遜だった人である
人はうわべを見るが
主は心を見る
聖書の中で私が最も大好きな言葉の一つだ
人間と
神の違いを
決定的にここで語る
人は自分の目が正しいとすぐに思いやすい
そんな間違ったまなざしの人達が多く集まって
より、正しいのだと勘違いしやすい
聖書は語る
「見える」というところに罪がある・・・・
深い
英語でsee
とは分かるという意味もある
分かっていると思っているときこそ
人間が1番危ない状態にいる時だ
聖書は何度も教える
神が作った光のおかげで
はじめて見えるのに
人は自分で見えるようになったと錯覚しやすい
聖書で
神が人を選ぶ時の選び方は
非常にユニークだ
かなりの場合
私たちの予想を外してくれる
羊飼いをしていた
末っ子のダビデが
イスラエルの最も有名な王として
選ばれた
人生の中に起きるまさかの展開
誰もが驚かされるギャップがもたらすドラマ
イエスはダビデの子として呼ばれる
救い主イエスは
天地万物を造った神なのに
神ぶったシーンは一度もない
あまりに神ぶらないので
色んな研究家たちに
イエスはただの人だと言いたくさせる程だ
神が
馬小屋で生まれ
大工の子として育ち
まくらする所もないような生活もした
紙に書き残せないくらいの
圧倒的な奇跡を幾度もしてきたのに
イエスが人類の罪を背負って
十字架にかかる時には
全員に裏切られた
最も辛い孤独を味わっても
なお
神は我々、人間一人一人に語る
私たちを私たちの価値観という欠けのあるものさしで
お互いをはかる計りでは評価しない
神の変わらない愛のはかりで
私たちの価値をはかる
誰でも
神に捧げることができる
心の態度
人は
私たちのする全てを把握してはくれない
でも
人の見えない
心の葛藤や
心の中での様々な選択を
神は受け取ってくれる
だから
人間が
見える所で判断しやすいから
キリストはそうではない歩み方をあえてしてくれた
キリストは世の光だと言った
光なら
進むべき道が分かるはずだ
こんなに暗い時代だからこそ
真実の光と言われる
救い主イエスを
クリスマスに改めて
心の中に灯火として点したいと思うのである
まだ神の灯火を点していない人はこの機会に試して欲しい
人の目を気にしても
大方の場合
正しく判断してくれてはいない
だから
安心して
神のまなざしを求めれば良い