「それなのに
どうしてあなたは主のことばをさげすみ
私の目の前に悪を行ったのか
あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち
その妻を自分の妻にした
あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ
今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない
あなたがわたしをさげすみ
ヘテ人ウリヤの妻をとり
自分の妻にしたからだ」 第二サムエル12章9、10節
私の勝手に作った言葉で
「正直者は馬鹿を見ない」がある
正直者は馬鹿を見るを肯定しただけだけれども
聖書のこの場所から心に迫って思ったことだ
イスラエルと言う国を
繁栄させ
王として力を持っていたダビデ
彼は
一人の時に間違いを犯してしまった
人を堕落させるもの
富と名誉とは言ったものだが
人に誉められる時
私たちは1番気をつけなければならない
高くなればなるほど
足場が不安定になりやすい
「小人閑居して不善をなす」
なんて言葉もあるが
本質的に罪を抱えている我々人間は
一人になる時
間違いを犯しやすいのだ
神の前に誠実だった王様ダビデも
1度大きな失敗をした
兵士たちが戦いに出ていた時
王宮で一人になっていると
女性が水浴びしているのが見えた
あまりにも美しかったので
自分のものにしてしまった
後から
この女性に自分の部下の兵士で
夫がいることが分かり
なんと
戦場の先頭にたたせ
戦死のようにみせかけて
実は意図的な殺人だった
さてさて
王ダビデには
神の言葉をとりつぐ預言者がいた
その人の名前はナタン
神がいることを知っていて
本当に畏れている人ならば
不真実や
不義などをほっておくことができない
たとえダビデ王でも
罪は罪
失敗は失敗
ダビデの罪を指摘した
人々にはダビデ王のしたことは
一部の遣いの者たち以外知らなかった
本末転倒して
事実を作り上げようとした
しかし
神は見ていた
神は
全てを見てくれている
罪を犯しているものにとってはそれは厳しい目であり
真実に生きようとしているものにとっては救いのまなざしだ
神の公平は
人の公平とは違う
人を欺いても
神を欺くことは出来ない
ダビデは王でありながら
自分の罪を認めて
神の前に悔い改めた
そして彼は心が変えられた
クリスマス
神は我々に語りかける
全ては神の目にお見通しだ
だから
逃げないで
神のふところに帰っておいで
親が子供の過ちを知りながら
自分からごめんなさいと告白するのを待つかのように
神は
一人一人の自発的な意志で
神様の元に帰って来るのを待っている
クリスマスは
神がプレゼント交換をする日だ
神の御子、救い主イエスと
私たちの存在
神は
心のドアをノックしながら
私たちから神のもとへ行けないでいる状況の中で語りかける
神は罪や問題を持っている
全ての人達と愛し合いたい
一緒にいたい
しかし
心の中に
救い主イエスをクリスマスの主役として受け入れるスペースはあるのか??
2000年前
キリストが馬小屋で生まれたその時
どこも母マリヤと父ヨセフが泊まる場所がなかった
あまりに忙しくて
心を失っていないだろうか?
キリストが
私たちの心の中に住む時
そのスペースが必要だ
しかし
いつも私たちのキリストを迎え入れるスペースは
ダビデのような問題で埋まっている
その問題のありかに
キリストは入りたい
私たちの背負っている罪の借金を
キリストは自分の命で払ってくれた
それが十字架だ
私たちの命の値打ちは
お金や
学歴や
業績や
名誉など
そんなもんでは
不十分だ
人間が負いきれない罪の負債は
自分たちの努力では
かえって増えてしまうだけだ
キリストは
命をかけて
愛を示した
その友のために命を捨てるこれほど大きな愛はない・・・
神は私たち一人一人と友になってくれる
友である私たちのために
命を捨てた
まだこちらから
友達になっていなくても
神のほうから友達になろうとしてくれる
神の愛のプレゼント
イエスキリストを自分の救い主として
心のパーティー会場で迎え入れる
それが
クリスマスの本当の祝い方だ
罪に悩む
人こそ
キリストを向かい入れるにふさわしいのだ
メリークリスマス
神は
あなたを愛のまなざしで
見つめています