しかし
大いなるあわれみをかけて
彼らを滅ぼしつくさず
彼らを捨てませんでした。
あなたは、情け深く
憐れみ深い神ですから。 ネヘミヤ9章31節
前回に続いての
捕囚ネタ
このネヘミヤ記のネヘミヤさんは
エズラ記のエズラさんと
イスラエルにお宮を回復したリーダー
神は愛だと聖書は言います
しかし
100%完全で純粋な本来の愛を持っていない私たちは
愛というと、自分が体験した愛や
周りから得る情報に基づく愛しか思い浮かばないはずです
だから
神の愛という時
自分のフィルターにかけるもんですから
なんだか
神も自分の想像できる範囲の神に成り下がってしまいます
聖書で神は愛というとき
優しさだけではなく
めちゃ厳しいです
子育てするようになって
この厳しさ
しつけも
愛だと痛感しています
ただ
大事なことは人格を損ねない厳しい愛です
神は人格を持っています
神格と言えばいいでしょうか?
漠然とした概念ではなく
パーソナリティーがありますので
人格と人格で接するように関われます
神は私たち人類を愛しているので
尊重してくださりながら
厳しい愛を実践してくれます。
その体験を痛い程何回も味わったのが
ユダヤ人です
何度も道を外しても
また神とのあるべき関係に立ち返って
癒され
また復活して行く
このネヘミヤ記がまさにそうです
神に捨てられたと思えるような状況の中で
彼らの中にまたセカンドチャンスが訪れます
一見駄目なように思えても
瞬間だけを見るのではなく
少しひいてみて
どこを歩んでいるか
考えられたらと思うのです
かならず
回復の道は見つかるのです
人生の再建
必要な人は見える所だけに
捕われないようにしたいですね
心のバビロン捕囚からの解放
今も起きるのです
それは人生の本来あるべきところへの回復です