神よ。
御恵みによって
私に情けをかけ
あなたの豊かな憐れみによって
私のそむきの罪をぬぐい去って下さい。
どうか、私の咎を
私から全く洗い去り
私の罪から、私を清めてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。
私の罪はいつも私の目の前にあります。 詩編51編
端的に言います。
本当に人はどんな罪も赦されるのか?
と聞かれると
日本人ならどう感じますか?
そも
そも
日本に鬱や自殺が多いのは
赦されると言う道を知らないからです。
自分を赦せない
そして
人を赦せない
また人から赦してもらえない
赦しと
許しは
違います
罪は許可されるものではなく
罪は神によって免除されると言ったほうが分かりやすいでしょうか?
人は死ぬまで完璧には生きられません
全ての人がそうです
以前のブログにも書きましたが
(以下からブログの話しに飛びます)
1話
2話
3話
4話
5話
6話
7話
8話
聖書が私たちに教えるイエスキリストの十字架での赦しは
たとえ、
神に背いてもそれが神の前に罪とカウントされない
罪とみなされないということです
??
どういうこと?
日本人たちは多くの人が
自分たちは他の人よりましだという幻想に生きています
だから
いとも簡単に
なにか政治家や犯罪者に対しては
平気で
他人事のように
自分のことを棚にあげて
非難できちゃいます
でも
バイブルは
神のまえに罪の大小はなく
全ての人が正しくないことを教えています
外側に見える悪い行為だけではなく
心の中にあるその行動に移る前の思いも
また、見て見ぬ振りする行為も
また、神をそもそも必要としないこと自体
最も大きな罪だと教えています
神の前に「罪の時効」はありません
罪を赦す権利のある
唯一なる救い主イエスキリストによって
罪を赦してもらえるかどうかです
神は
人類に
一人も滅びて欲しくないと言います
お互いに愛し合い
裁きあうなと・・・
敵をも愛しなさいと言います
でも
私たちは
自分に都合の良い人とだけ関わり
自分に不利益な人達とは関わろうとしません
キリストは違います
私たち人類が
神にとって不利益なことをしても
神は見捨てず
あきらめず
見限らず
いつも
私たちを愛し
私たちの心のドアをノックしています。
神の愛は
強制ではなく
本当の愛し合う関係を知っているならば
相手に強要はしないはずです
罪を認めない人に
本当に人の苦しみ悲しみに寄り添うことはできません
なぜなら
人は自分の至らなさ
駄目さ
弱さ
失敗に悩むからです
それは神を見失う時に
大きな絶望として押し寄せます
神は愛です
神は私たち一人一人を
あなたを待っています
「私は愛する者をしかったり、懲らしめたりする。
だから、熱心になって悔い改めなさい。
見よ。
私は戸の外に立って叩く。
誰でも
私の声を聞いて
戸を開けるなら
私は
彼のところに入って
彼とともに食事をし
彼も私とともに食事する。」黙示録3章19、20節
人を指差すのをやめ
自分の内側の誰も知らない問題を
神に差し出しましょう
神はそれを赦してくれます
もうあなたは
イエスキリストによって
罪人と判定されることはないのです